生きてゐることがうれしい水をくむ|昭和九年十二月 この句は、山頭火が小郡の其中庵に住んでいた、昭和九年十二月二十四日に詠まれました。 この年の春、山頭火は「自己の真実を俳句として打出するため」に旅に出ましたが、長野県飯田で肺炎を患い、一週間入院する 続きを読む 2020年12月7日
ほろほろほろびゆくわたくしの秋|昭和十四年十一月 この句は、昭和十四年十一月、四国八十八ヶ所を巡る旅の途中で詠まれました。高知県の東部を歩いており、数日前には室戸岬にも行っています。 この年の十月に山口を出て、四国遍路の旅をした後、松山に「一草庵 続きを読む 2020年11月1日
誰もゐないでコスモスそよいでゐる|昭和五年十月 山頭火は昭和五年九月から再び行乞の旅をはじめました。熊本から宮崎県南部の各地を巡り、飫肥町の辺りで詠んだ句です。 「ゐないで」と「そよいで」の「いで」が繰り返されることで、句にリズムが生まれてい 続きを読む 2020年10月1日
このいたゞきに来て萩の花ざかり|昭和五年九月 昭和五年九月、山頭火はそれまでの日記や手記を焼き捨てて、再び旅に出ました。熊本から宮崎に入り、京町(現えびの市)の辺りで詠んだ句です。日記には 人吉から吉松までも眺望はよかつた、汽車もあえぎ〱 続きを読む 2020年9月1日
一草庵裡山頭火の盆はトマトを掌(テ)に、みほとけのまへに、ちちははのまへに|昭和十五年八月 この句は、昭和十五年八月十八日に詠まれました。松山の御幸寺の境内に一草庵を構えて住んでいた最晩年のもので、この日は、日記によると旧盆十五日だったようです。 日記には前日の十七日に 私の食卓はまずし 続きを読む 2020年8月1日
ゆふべはうれて枇杷の実のおちるしめやかさも|昭和八年七月 この句は、昭和八年七月五日の日記に記されており、小郡(現山口市)の其中庵に暮らして十ヶ月程過ぎた頃の句です。 夕暮れどき、熟した枇杷の実が落ち、静かでひっそりとしていると詠んでいます。果実は五、六セ 続きを読む 2020年7月1日