霧島は霧にかくれて赤とんぼ│昭和五年九月

解説

 昭和五年九月、山頭火はこれまでの日記や手記をすべて焼き捨て、一時滞在していた熊本から再び旅に出ました。新たな日記として『行乞記』をつけ始め、そこには「私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなつてゐる」と記しています。
 熊本を出た山頭火は、宮崎・鹿児島・宮崎・大分・福岡という順で九州を巡ります。掲句は、人吉町(現熊本県人吉市)から宮崎に入り、小林町(現宮崎県小林市)から高崎新田(現同県都城市高崎町)あたりを行乞していた昭和五年九月二十一日に詠まれた句です。当日の日記を見てみます。

霧島は霧にかくれて見えない、たゞ高原らしい風が法衣を吹いて通る、

その前日の日記には、

このあたりはまことに高原らしい風景である、霧島が悠然として晴れわたつた空へ盛りあがつてゐる、山のよさ、水のうまさ。

とあり、
  霧島に見とれてゐれば赤とんぼ
と詠んでいます。
 小林市や都城市の南西には、現在では国立公園に指定されている霧島連山がそびえています。よく晴れた前日二十日には、霧島の美しい稜線が見えたのでしょう。遠方の霧島と近くを飛ぶ赤とんぼによって、奥行きのある一句になっています。
 一方掲句では、霧島は霧に隠れてしまっています。しかしその霧の向こう側には昨日見えていた霧島の姿が想像され、そして近くには赤とんぼが飛んでいるという情景が詠まれています。前日の句を踏まえれば、赤とんぼが昨日と同じように飛んでいることで、「霧島に見とれてゐれば」の美しい山の姿が霧の向こうに想像できる、という句になるでしょう。
 昨日も見た赤とんぼの姿に、今日は隠れて見えない霧島の姿を想像している一句です。
 ちなみに、同日に福岡の親友木村緑平に宛てた葉書の中にもこの句を書いていますが、そこで「ずゐぶん古めかしい句ですね」と言うように、この句は五・七・五の形を取っています。あえて型にはまったような、姿勢のよさも漂っている句ではないでしょうか。