凩のふけてゆく澄んでくる心|昭和七年十二月 この句は昭和七年十二月二十三日に詠まれた句です。 冬に吹く冷たい風(凩=こがらし)が吹きぬけて、心が澄んでいく感覚を詠んだものです。 この日の日記には次のような文があります。 久しく滞つてゐた水が 続きを読む 2018年12月22日
実ばかりの柿の木のなんとほがらかな空|昭和九年十一月 この句は、昭和九年十一月十四日に詠まれました。 葉が風によって散り、実ばかりになって淋しくなってしまった柿の木と、その背景に見える青空を詠んでいます。木に残った橙色の実がその青空に映えている、鮮やか 続きを読む 2018年11月7日
秋空、一点の飛行機をゑがく|昭和五年十月 この句は、昭和五年十月二十六日、宮崎県の都濃(つの)町を行乞していた日に詠まれたものです。この日の日記を引用します。 ほんとうに秋空一碧だ、万物のうつくしさはどうだ、秋、秋、秋のよさが身心に徹する。 続きを読む 2018年10月5日
三日月よ逢ひたい人がある|昭和七年九月 この句は、昭和七年九月五日の句です。この頃山頭火は、小郡の友人国森樹明が紹介してくれた、樹明の兄の友人宅の離れに住んでいました。 当日の日記を引用します。 彼から返事が来ないのが、やつぱり気にかゝ 続きを読む 2018年9月15日
うぶすなの神のおみくじをひく|昭和七年八月 この句は、昭和七年八月四日、小郡に其中庵を結ぶ一か月ほど前のものです。八月一日に川棚から移動し、其中庵に住めるようになった九月二十日まで、山頭火は小郡の友人の家に居候していました。 小郡にやってきて 続きを読む 2018年8月23日
山のしづかさへしづかなる雨|昭和十一年七月 この句は、昭和十一年七月に詠んだもの。 山頭火は前年の昭和十年の十二月から、「死に場所を求めて」旅に出ています。東京、新潟出雲崎、平泉を経て、旅の最後に立ち寄ったのは福井県にある永平寺でした。 永平 続きを読む 2018年7月18日