うまい水の流れるところ花うつぎ(昭和七年六月)

解説

 この句は昭和七(一九三二)年六月十八日の日記に記されている句です。山頭火は下関の川棚温泉に結庵しようと奔走していました。数日前から木下旅館に宿を取り、この日山頭火は、朝から下関市にある狗留孫山修禅寺(くるそんざんしゅぜんじ)にお参りしました。このお寺は観音零場で、この日が観音日でもあったため参詣したようです。日記には、

 狗留孫山へ拝登、往復六里、山のよさ、水のうまさを久しぶりに味つた。(中略)
 岩に口づけて腹いっぱい飲んだ水、そのあたりいちめんにたゞようてゐる山気、それを胸いつぱいに吸ひこんだ、心身がせいせいした。

 とあります。
 この頃は、川棚での結庵に難航の気配が見え始め、気分が晴れなかったのでしょうか、梅雨時ながら快晴だったこの日、山頭火は山に向かいます。記述にはありませんが、岩場で飲んだ水の近くにうつぎの花が咲いていたのかもしれません。山頭火が花を句に詠むことは多いですが、「うつぎ」の名前が出てくることはめずらしく、貴重な句です。

 参詣の途中では道に迷いますが、かえって山の空気と美味しい水を堪能でき、元気を取り戻したようです。
 日記の続きには、修禅寺について述べており、

 山道の杉並木、山門の草葺、四面を囲む青葉若葉のあざやかさ、水の美しさ、ーそれは長く私の印象として残るだらう。

 と記しています。結局、川棚に暮らすことは叶いませんでしたが、修禅寺の景色は水のうまさとともに思い出として残ったことでしょう。