あてもなくあるけば月がついてくる|昭和七年十月

解説

 この句は昭和七年十月十七日の日記に記されています。
 山頭火は、眠れない夜や庵に来訪がないときの寂しさを紛らわすために、よく散歩に出かけています。あてもなく歩きながら見上げた空には月が浮かび、周囲に人の気配もない場所では、自分と月だけがいるように思えてきます。月と一緒に散歩をして寂しさを分け合っているような、月を擬人化したような句です。
 秋は、九月の十五夜と十月の十三夜の月が名月として名高く、お月見などをして愛でる風習があります。この句も十三夜頃に詠んだ句です。山頭火は別の日の日記で、

 月の句はむつかしい、とりわけ、名月の句はむつかしい
(『其中日記』昭和七年九月十五日付)

 と言っています。十五夜の前後三日間で二十以上の月の句を詠んでいますが、納得のいくものは少なかったのかもしれません。
山頭火はこの年の九月二十日から其中庵に住み始めました。放浪の旅に区切りをつけ、一つ所に落ち着いた生活は、畑を作り、芽吹いた野菜を味噌汁の具にするといった、新たな日々でした。また、近くに住んでいた俳句仲間の国森樹明(くにもりじゅみょう)が頻繁に庵を訪れ、お酒を酌み交わしながら夜遅くまで語り合う楽しみも生まれました。

 しかし、お酒を飲み過ぎてトラブルになったり、自己嫌悪に陥ったりして悩むことも多く、句の詠まれた十七日の日記には、

  長い、長い一夜だつた、展転反側とはこれだらう、あれを思ひこれを考へる、ガランとして、そしてうづまくものがあつた。……

 と苦悩を述べています。
 今年の十三夜は十月十一日で山頭火の命日です。様々な思いを抱えながら月を眺めて散歩した山頭火に、ほんの少し思いを馳せながら、日本固有の風習である十三夜を愛でてみてはいかがでしょうか。