企画展「雑誌『俳句研究』と自由律」をもっと知りたい!⑤

『俳句研究』と荻原井泉水・中塚一碧楼

 『俳句研究』における中心的な自由律俳人と言えば、碧梧桐の後ろ盾を得て創刊した雑誌『層雲』を主宰する荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)と、碧梧桐が創刊した雑誌『海紅』を引き継いで主宰していた中塚一碧楼(なかつかいっぺきろう)でした。二人は自由律俳人の中では作品の掲載回数も多く、また選者も務めています。

 井泉水は作品のほかに紀行文や俳論も載せています。創刊号から9回に渡って掲載した俳論「自由律俳句の道」は、「定型派の人達は全く我々の句に就ては見てをらず、又、さうした機会もないので、なるべく啓蒙的な事を、なるべく多くの人に読ましておく必要があると思ふ。」*という考えから書かれたものでした。

 一碧楼は、創刊号から継続的に作品を掲載しています。作品が巻頭に掲載された回数も自由律俳人の中では最も多い6回です。また、読者からの投句の選者も、創刊の昭和9年から廃刊前年の昭和18年まで続けました。また、師である碧梧桐に関する随筆等もときどき掲載されています。

 このほかにも『俳句研究』には様々な自由律俳人の名が見えますが、その多くは『層雲』あるいは『海紅』の同人でした。井泉水と一碧楼がそれぞれの雑誌において多くの自由律俳人を育ててきたということが分かるでしょう。

*『層雲』第二十四巻第二号(昭和9年6月) MEMO より

荻原井泉水「自由律俳句の道」
『俳句研究』第一巻第一号(昭和9年3月)