からだあたゝまる心のしづむ│昭和五年十二月

解説

 昭和五年十二月、福岡市内から二日市町(現筑紫野市)まで歩き、武蔵温泉にて詠んだ句。武蔵温泉は現在の二日市温泉です。
 山頭火は温泉好きです。その理由を日記や句から探ってみます。

私が温泉を好むのは、いはゆる湯治のためでもなく遊興のためでもない、あふれる熱い湯に浸つて、手足をのび〱と伸ばして、とうぜん〔引用者注:陶然〕たる気分になりたいからである。 (昭和十一年五月・万座温泉)

ほんに温泉は身心をしづめてくれる、ありがたい。 (昭和十二年五月・湯田温泉)

憂鬱を湯にとかさう (昭和五年十一月)

山頭火にとって温泉は、身体を温めてくれるものであると同時に、ふさいだ心をほぐしてくれるものだったようです。

 さて、掲句では後半に「心のしづむ」とあります。山頭火の句では他に用例がない表現です。「心が沈む」と言うときの「沈む」は、辞書では「気持がはれない状態になりおちこむ」と説明されます。山頭火も日記で「あんまり気が沈むから二三杯ひつかける」(昭和五年十二月三十一日)のように使っています。
 一方昭和十二年五月の日記にある「しず[静・鎮]める」あるいは「しずまる」には、「浮かれたり乱れたりした気持を落ち着かせる(気持が落ち着く)」という意味があります。
 掲句を辞書通りの意味で読むと、「体は温まり、気持ちは落ち込む」となり不自然です。また、山頭火の温泉に対する考えとも矛盾します。
 掲句の「しづむ」は、温泉を詠んでいることから「水に沈む」というイメージを持ちながら、乱れ浮わついた心が平常心に落ち着くという「しずまる」の意味合いを含んでいるのではないでしょうか。

 体があたたまり、心はゆっくりとお湯に沈むように落ち着いていく、温泉での一句です。