岩ばしる水がたたへて青さ禊する│昭和十四年十一月

解説

 昭和十四年十一月、山頭火は四国八十八ヵ所を巡礼していましたが、高知で「思いあきらめて」松山へ向かいます。その途中、現在の仁淀川町にて川沿いを行乞した日に詠んだ句です。
 高知県の中央を流れる仁淀川(によどがわ)とその支流は、現在「仁淀ブルー」と呼ばれる美しく透き通ったターコイズブルーで知られています。その名が広まったのは戦後ですが、昭和十四年当時も美しく青い水が流れていたと思われます。

 さて、句は「岩ばしる」と始まります。この表現は『万葉集』に収められている志貴皇子の歌(巻八・一四一六)

いはばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

にもあるように、奈良時代から歌を詠む際に使われていた「歌語」です。水が岩の上に落ちてしぶきをあげる様子を表しています。
 「青さ」とあるのは、仁淀川とその支流に見られる美しい青色を言っているのでしょう。
 最後の「禊(みそぎ)する」は、きれいな水の流れる川で身を清めたことを言っていると考えられます。実際、この日の日記にも「三時には帰って来て、川で身心を清め、そして一杯すすった。」と書いています。

 この句には全体的にどこか神秘的で静謐な雰囲気が漂っています。その雰囲気を作っているのは、ひとつは古代から和歌に詠まれてきた「岩ばしる」という、雅な歌語です。また、本来は穢れを落とすための神聖な行為を言う「禊」という語も、静謐な印象をもたらしています。
 山頭火はこの日川で身心を清めたと言っていますが、掲句では、その実体験を超えた神聖さを、「岩ばしる」「禊」という言葉によって演出しているのです。
 「岩ばしる」水が美しい青さをたっぷりと湛えている、その神秘的な場所で「禊」し身を清める。どこか境界を超え神聖な場所に入ってしまったかのような光景が浮かんでくる句です。

参考:仁淀ブルー観光協議会