あなもたいなや お手手のお米こぼれます|昭和十四年十一月

解説

 昭和十四年九月、山頭火は昭和七年から住み続けた山口を再び去り、四国へ向かいました。松山に着くとすぐに四国遍路の旅に出発します。掲句は四国遍路の途上、十一月十日、現在の高知県香南市付近の沿岸を歩いていた日に詠まれたものです。日記の記述を見てみると、

   七時出立、松原がよろしい、お弁当のおもいのもうれしかった、赤岡町まで二里半、途中行乞(功徳は銭七銭米六合)。

 とあります。家々の軒先に立って読経し、銭やお米をいただく「行乞」の旅は、山頭火が大正十五年に旅に出た際の姿勢であり、初心に戻ったような気分だったのでしょう。松山に向けて山口を出発した九月には、
柳ちるもとの乞食になつて歩く
という句を詠んでいます。

 そして四国遍路の旅の日記には、

   行乞の功徳、昨日は銭四銭米四合、今日は銭二銭米五合、(十一月五日)
   今日の功徳はめずらしくも、銭二十八銭、米九合余。(九日)
   三時まで行乞、かろうじて銭三十四銭米五合、(十三日)

 など、その日の行乞でいただいた銭と米がいくらだったかを毎日のように記録しています。まさに行乞によってその日の宿代をいただく旅だったようです。

 さて、掲句は前書きに「行乞即事」とあるので、行乞の様子をそのまま表した句、ということになります。そしてその前書きのとおり、「あなもたいなや」「お手手」「こぼれます」など話し言葉そのままを使っており、臨場感があります。特に句の前半を細かく見てみると、「あな」は古語の感嘆詞、「もたいなや」の「や」は詠嘆を表す助詞であり、「ああ、もったいないなあ」という大きな感情を直接表現していることが分かります。まるでお米をいただくその時に発したセリフのようにも感じます。
手からこぼれんばかりのお米をいただいたことへの感謝の気持ちが、芝居がかって大袈裟にも思える言い回しで表現されている、少し珍しい句です。