誰もゐないでコスモスそよいでゐる|昭和五年十月

解説

   山頭火は昭和五年九月から再び行乞の旅をはじめました。熊本から宮崎県南部の各地を巡り、飫肥町の辺りで詠んだ句です。
 「ゐないで」と「そよいで」の「いで」が繰り返されることで、句にリズムが生まれています。人影はなく、コスモスがそよいでいると情景を詠み、動くものがコスモスだけという印象が静けさを際立たせています。「誰もゐない」にはその場に人がいないというだけでなく、同行者もなく一人で旅をする山頭火の孤独や寂しさも表現されています。しかし、風にそよぐコスモスがそこにあることで、言葉はなくとも寄り添われているような、孤独の中にも希望が見出される句でもあります。
 季節は秋真っ盛りとなり、この句と同じ日に詠んだ句は他にも
  熟(ウ)れて垂れて稲は刈られるばかり
  水の味も身にしむ秋となり
 など、秋の句を多く詠んでいます。そこ、かしこにあふれる季節の気配を敏感に感じ取っていたようです。
 山頭火は、草鞋(わらじ)を履いて旅をしていました。日記には

  今日、求めた草鞋は(此辺にはあまり草鞋を売つてゐない)よかつた、草鞋がしつくりと足についた気分は、私のやうな旅人のみが知る嬉しさである、芭蕉は旅の願ひとしてよい宿とよい草鞋とをあげた、それは今も昔も変らない(昭和九年九月三十日付) 

 とあります。また、句の詠まれた日の日記にも、

  この地方には草鞋がないので困つた、詮方なしに草履にした、草鞋といふものは無論時代おくれで、地下足袋にすつかり征服されてしまつたけれど、此頃はまた多少復活しつゝある

 と記しています。足首で固定できる草鞋を好む山頭火にとって、草履はさぞかし歩きにくかったことでしょう。草鞋に限らず様々に時代遅れを自認する山頭火ですが、時の流れに無理に逆らうことはせず、使い慣れた草鞋を入手することがさらに難しくなってくると、地下足袋を履いて旅をしています。この旅は、草鞋を履いて季節を満喫できた最後頃の旅であったようです。