このいたゞきに来て萩の花ざかり|昭和五年九月

解説

  昭和五年九月、山頭火はそれまでの日記や手記を焼き捨てて、再び旅に出ました。熊本から宮崎に入り、京町(現えびの市)の辺りで詠んだ句です。日記には

  人吉から吉松までも眺望はよかつた、汽車もあえぎ〱登る、桔梗、藤、女郎花、萩、いろんな山の秋草が咲きこぼれてゐる

 とあり、秋の花が様々に咲いている様子を記しています。
 句に「いたゞきに来て」とあることから、山頂にたどり着いて詠んだかのようですが、じつはこのとき脚気のため汽車に乗って宮崎に入りました。花々の様子は車窓から眺めた景色だったようです。ただ、山頭火はこのとき、大正十五年の旅で近くの加久藤(かくとう)越えをしたことを思い起こしており、汽車で頂に登っていく際の光景が、かつて山越えをした記憶と重なり、あたかもそこにいるかのような感覚で詠んだのかもしれません。 萩の花については、日記にも好きな花としてよく登場しており、句では他にも


  山路はや萩を咲かせてゐる(昭和七年)
  ふるさとの山にしてこぼるゝは萩(昭和八年)
  すずしく風は萩の若葉をそよがせてそして(昭和十一年)


 など、多くあります。これらはどれも旅中で詠んだ句です。
 大正十五年の旅は「解くすべのない惑いを背負うて」の旅でした。そしてこの旅は、「私の過去一切を清算しなければならなくなつてゐる」との思いから始めています。どちらの旅も、自分の内に抱えてしまったものを解き放つには旅に出るしかない、という共通の思いが見て取れます。ただ、今回の旅では「たゞ捨てゝも〱捨てきれないものに涙があふれる」とも記しており、抱えているものからの解放は簡単ではないこともわかっていたようです。こうした苦しい思いに突き動かされた旅で、好きな花を目にすることは、山頭火にとって大切な安らぎだったのではないでしょうか。