わが庵は雪のあしあとひとすぢ|昭和八年一月

解説

 この句は、昭和八年一月二十六日に詠まれました。当時山頭火は、小郡に其中庵(ごちゅうあん)を結んで暮らしていました。この日の日記を見ると、雪が降っていたことが分かります。

ところが、雪だ、このあたりには珍らしい雪だ、冷えることもずゐぶん冷える、何もかも凍つてゐる。
 (略)
樹明君から来信、子がうまれ句がうまれる、祝祷々々。
地下足袋はいて雪風にふかれて、駅のポストまで、樹明君へよろこびのはがきをだすために。

 そして、小郡に住んでいた友人国森樹明(くにもりじゅみょう)から、子どもが生まれたという連絡が来て、早速お祝いの葉書を出しに出かけています。

 この句は、その葉書を出して帰ってきた際の句と思われます。
 「雪のあしあとひとすぢ」とは、出かけた際に雪の上についた自分の足跡が、降り積もる雪によってすでに見えなくなっており、庵に戻ってきた際の足跡のみ残っている情景を詠んでいます。
 この情景は、友人たちの来訪がないということを暗に示しており、山頭火が人恋しく思う気持ちをうかがい知ることができます。

   けふはもし君もや問ふとながむれどまだ跡もなき庭の雪かな

 これは、鎌倉初期に成立した『新古今和歌集』の和歌です。「今日は君が来るかと思って見ていたけれど、庭に積もる雪にはまだ跡がついていない、まだ君は来ていない」という内容の歌です。雪につく足跡と人の来訪を結び付ける発想は、このように、古来からあるものなのです。
 雪は、その上を歩けば跡がついてしまうため、人が来たかどうかが視覚的にも見えます。目に見えてしまうことによって、山頭火も、人の来訪がないことが普段よりも淋しく感じられたのではないでしょうか。