凩のふけてゆく澄んでくる心|昭和七年十二月

解説

 この句は昭和七年十二月二十三日に詠まれた句です。
 冬に吹く冷たい風(凩=こがらし)が吹きぬけて、心が澄んでいく感覚を詠んだものです。
 この日の日記には次のような文があります。

 久しく滞つてゐた水が流れはじめたやうな気分だ、流れる、流れる、流れるまゝに流れてゆく。
 身辺整理、出すべき手紙をだし、捨つべきものは捨てた。
 自然を味へ、ほんとうに味へ、まづ身を以て、そして心を以て、眼から耳から、鼻から舌から、皮膚から、そして心臓へ、頭へ、
 ―心へ。

 木枯らしが全身を駆け巡り、その冷たさによって滞っていたものが浄化され、冴えわたっていくような感覚が読み取れます。
 山頭火が望んでいた「水のように生きる」ことを促すかのように、新たな流れを運んでくれたようです。

 この句を詠んだ頃の山頭火は、九州西国霊場の寺々を巡る長い旅を終え、現在の山口市小郡に「其中庵(ごちゅうあん)」という庵を構えて暮らし始めていました。定住による静かな生活の一方、友人と会う度にお酒を飲み、飲み過ぎると羽目を外し、後で深く反省する、ということを繰り返していたようです。
 また、九州の旅に出る前に出版を休止していた雑誌「三八九(サンパク)」を再び作ります。しかし、せっかく出来上がっても郵送料がなく、結局、手持ちの本を知人の奥さんに預けてお金を借り、どうにか工面しました。そのことを「やれまあ、なんとはづかしい。」と日記に書いています。

 木枯らしは凍てつく寒さを連想させますが、うまくいったりいかなかったりと波のある日々を暮らす山頭火には、その冷たさがかえって心地よかったのかもしれません。