うしろすがたのしぐれてゆくか|昭和六年十二月

解説

 この句は『行乞記』の昭和六年の末尾部分に記されています。昭和六年十二月、山頭火は一時住んでいた熊本から再び行乞の旅に出発しました。

 自分の後ろ姿は、自分で見ることはできません。山頭火は、「他者に見られる自分」を強く意識しています。後ろ姿を他人に見られている自分を見て、自らを嘲る、という句です。
 では、どのような「姿」を自嘲しているのでしょうか。

 句の後半にある「しぐれ」は、初冬に降る通り雨のことで、山頭火も「しぐれ」という語を含む句を多く詠んでいます。その中で、

  泊めてくれない村のしぐれを歩く(昭和五年)
  さんざしぐれの山越えてまた山(昭和五年)
  けふもしぐれて落ちつく場所がない(昭和五年)
  しぐれてぬれて旅ごろもしぼつてはゆく(昭和十四年)

 などのように、行乞の旅の最中を詠んだと思われる句が見られます。『奥の細道』の冒頭で「片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず」と書いた松尾芭蕉の句に

  旅人とわが名呼ばれん初しぐれ

 というものがあり、また、芭蕉も慕った連歌師の宗祇の句にも、

  世にふるもさらに時雨の宿りかな

 というものがあります。
 漂泊の旅に、通り雨である時雨を重ねているのです。

 漂泊の旅、行乞の旅に生きるほかない自分自身を客観的に見て、山頭火は「自嘲」しているのでしょう。