企画展「山頭火に出会った人々 第2弾 兼﨑地橙孫と木村緑平」

 漂泊の俳人と言われる種田山頭火には、多くの友人がいました。今回の企画展ではその中でも、山頭火が自由律で頭角を現し始めたころに出会った人物二人を紹介しました。
 前期には、同郷の俳人として俳句を通じて交流を続けた兼﨑地橙孫を、後期には生涯精神的・経済的に山頭火を支え続け、山頭火が最も頼りにしていた木村緑平を取り上げ、山頭火と彼らの深い友情をご覧いただきました。

<会期>
前期:令和5年7月7日(金)~10月1日(日)
後期:令和5年10月6日(金)~令和6年1月8日(月)

一、兼﨑地橙孫
明治23(1890)年~昭和32(1957)年
弁護士・俳人。
現山口市生まれ。旧制豊浦中学校在学中から俳句を始め、全国巡歴中の河東碧梧桐に出会い、以後碧梧桐門下となる。熊本の第五高等学校(五高)在学中には『白川及新市街(しらかわおよびしんしがい)』を主宰し、山頭火とも交流した。京大卒業後、陸軍省法官部に入るが一年弱で退職し、下関で弁護士事務所を開業する。戦時中に定型俳句に戻り、戦後は郷里徳山で「清明の句」を基本とする句作に励んだ。書は中村不折から学んだ六朝体をよくした。

二、地橙孫と山頭火との接点
 山頭火は大道の酒造場が破産した際、地橙孫のいる熊本に移り住みました。熊本での交際の場は主に、地橙孫が主宰する『白川及新市街』だったと考えられます。
 数か月の交流ののち、二人は別の道を歩みますが、お互いに一目置く存在だったようです。
 山頭火は地橙孫のことを「地橙孫さんは尊敬すべき紳士である、私は俳人としてゞなく、人間として親しみを感じてゐるのである。」(日記 昭和5年11月22日)と評します。一方地橙孫は山頭火について「全く好感がもてる」「彼のみは其逸話と共に句が残るであろう」と予言します。
 俳句を通じて知り合った二人は、それぞれの信じる俳句をそれぞれに追い求め続けましたが、深いところで認め合っていたのではないでしょうか。

三、木村緑平
明治21(1888)年~昭和43(1968)年
医師・俳人。
現柳川市生まれ。中学伝習館在学中から俳句を始め、長崎医学専門学校在学中に自由律俳誌『層雲』に投稿するようになる。卒業後は三井三池鉱業所病院(大牟田)に勤め、その時期熊本にいた山頭火と初めて出会い、以後生涯山頭火を支え続けた。大正15(1926)年に故郷に開業するが一年でそこを去り、明治鉱業株式会社豊国炭鉱中央病院(糸田)に就職。晩年は故郷柳川に帰る。生涯で多くの雀の句を詠んだ。

四、緑平と山頭火との交友
 緑平は、どのようなときも山頭火に手を差し伸べてくれました。
 二人は大正初期に自由律俳誌『層雲』を通じて出会っています。大正5(1916)年に熊本に移り住んだ山頭火は、『層雲』(大正5年9月号)に「層雲誌上で親しみのある方には(略)大牟田には木村兎糞子氏がをられるさうでありますが、まだお目にかゝりません」と書いていますが、この木村兎糞子は緑平のことです。実際に二人が会うのは大正8年頃のことで、それ以降は山頭火が亡くなるまで頻繁に手紙のやり取りをしています。その中には無心の手紙も多くありましたが、緑平は惜しみなく山頭火に援助の手を差し伸べ続けます。
 緑平のその行動はすべて、山頭火のすばらしい句をこの先も読み続けたいという思いからのものでした。
 一方山頭火も、「緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ」と日記に書くように、緑平を心から信頼し、その温かさに常に感謝しています。

【展示資料一覧】
○前期○色紙「孫弟子の凡庸競え獺祭忌」(兼﨑地橙孫・兼﨑地橙孫顕彰会蔵)/『海紅』第二二巻第一二号(海紅社・昭和12年3月・当館蔵)/掛軸「竹藪幹しめりつめたき月の暈」(兼﨑地橙孫・兼﨑地橙孫顕彰会蔵)/短冊「家郷また旅の心や草枯るる」(兼﨑地橙孫・当館蔵)/短冊「山水の葉色に染まり雨蛙」(兼﨑地橙孫・当館蔵)/『清明』創刊号(清明吟社・昭和26年・兼﨑地橙孫顕彰会蔵)/『層雲』第四巻第五号(層雲社・大正3年8月・当館蔵)/『樹』三一号(河村義介・大正5年3月・当館蔵)/『白川及新市街』復活號(白川詩社・大正8年11月・山口県立山口図書館蔵)/『白川及新市街』第二輯(白川詩社・大正9年1月・山口県立山口図書館蔵)/『白川及新市街』第三輯(白川詩社・大正9年2月・山口県立山口図書館蔵)/『白川及新市街』第六輯(白川詩社・大正9年5月・山口県立山口図書館蔵)/『中村不折愛蔵版 龍眠帖 復刻版』(中村不折・明治41年・兼﨑地橙孫顕彰会蔵)/扁額「満山雷雨」(兼﨑地橙孫・当館蔵)
○後期○
『層雲』第四巻 第四号(層雲社・大正3年7月1日・当館蔵)/写真 柳川にて開業の病院(木村緑平顕彰会蔵)/葉書複製 昭和十五年七月三日付け種田山頭火より木村緑平宛て(原本・木村家蔵)/葉書 昭和五年三月一日付け種田山頭火より木村緑平宛て(昭和5年3月1日・当館蔵)/掛軸「枝をさしのべて葉さくら」(種田山頭火・当館蔵)/パネル 木村緑平句碑除幕式の様子(木村緑平顕彰会蔵)/句集『鴉・雀』(種田山頭火、木村緑平・昭和15年・当館蔵)/句集『すずめ』(木村緑平・昭和25年10月・真岡礦業所ボタ山句会発行・当館蔵)/『雀の生涯』(木村緑平・大山澄太編・昭和43年6月・当館蔵)/掛軸「雀に生れてきたのではだし」(木村緑平・当館蔵)/掛軸「木の根かげ無くてあたゝか」(木村緑平・木村家蔵)/短冊「雀には巣を造らせて置いて一日物かく」(木村緑平・木村緑平顕彰会蔵)/短冊「子にやるものが見つからないでゐる雨の夕べの雀」(木村緑平・木村緑平顕彰会蔵)/短冊「今日の日落ち草原の雀おの/\喜び立つ」(木村緑平・木村緑平顕彰会蔵)