ふつと逢へて初夏の感情│昭和九年六月

解説

 昭和九年六月十二日の日記に書かれた句。小郡(現山口市)の其中庵に住んでいた時期です。
 この前日、阿東(現山口市)生まれの『層雲』同人で大正時代に交流があった渡辺砂吐流(さとる)が其中庵を訪ね、一泊していきました。約二十年振りに砂吐流に会った山頭火は日記に

砂君はまろい人だつたが、二十年の歳月が君をいよ/\まろくした、逢うて嬉しい人だ。

と旧友に会えた喜びを記しています。

 掲句は、砂吐流に逢えたことを詠んでいるものと考えられます。六月六日に砂吐流宛てのハガキで

おたよりまことになつかしく拝見いたしました、あなたの事は覚えてをります(略)どうぞお寄り下さい、

と書いていることからも、五日程前に砂吐流の来訪を知ったようです。思いがけずも逢えたことを「ふつと逢へて」と表現しているのでしょう。

 句の後半「初夏の感情」は珍しい表現です。「初夏」のイメージを鑑賞者に大きく委ねてしまっているようにも見えます。
山頭火にとっては、たとえば
  風は初夏の、さつさうとしてあるけ
などの句では、風が吹き抜けるような、より抽象化すれば爽やかで清々しいイメージがあると推測できます。一方でたとえば

私は先日来、身心がみだれて困つてをりましたが、やうやく落ちつきました、新緑の季節はどうもいけません
(昭和九年六月二十二日 木村緑平宛て書簡)

等のように、初夏は身心不調になる季節でもあったようです。
 しかし今回の句の「初夏の感情」は、日記に「逢へて嬉しい」という言葉もあるように、砂吐流に逢えたことによってすがすがしく晴れやかな気持ちになれたことを表わしていると考えられます。

 旧友に逢えた初夏の一日の喜びを表した句です。