夜のふかうして薬缶たぎるなり│昭和九年二月

解説

 昭和九年二月十二日、小郡の其中庵で詠まれた句。この前後の日記を見てみます。

石油がきれたのには困つた、先日来の不眠症で、本でも読んでゐないと、長い夜がいよ/\ます/\長くなるのである。(二月八日)

旗日も祝日もあつたものぢやない、身心の憂欝やりどころなし、終日臥床、まるで生ける屍だ。(二月十一日)

春日和です、私は終日終夜、寝床の中です。(二月十二日)

どうも憂欝だ、無理に一杯ひつかけたら、より憂欝になつた、年はとりたくないものだとつく/\思ふ。
畑仕事を少々やつてみたが、ます/\憂欝になる、読書すればいよ/\憂欝だ。(二月十四日)

「憂鬱」という言葉が続き、また連日寝床から出られない様子が記されており、精神的に落ち込んでいた時期だったことがうかがえます。
 掲句の「夜ふかうして」とあるのは、夜が深くなっても眠れずに起きていたということでしょう。「薬缶たぎるなり」は、其中庵の囲炉裏でやかんを沸かしている状況でしょうか。「たぎる」という語からは、お湯がしゃんしゃんと沸く音も聞こえてくるようです。
 掲句は語尾を「たぎるなり」と断定して言い切っており、「薬缶たぎる」というところに焦点があります。そのため掲句を読むと、やかんが沸いていることが、その音とともに強く印象付けられます。そして同時に、やかんの音が響くほど静かな夜であることも想像できます。
 似た句として、
 ゆふぐれはあれこれ考へることの、薬缶たぎりだした 昭和八年
というものがあります。掲句も静かな深夜にやかんのお湯が沸く音だけが聞こえる情景を詠んでいますが、お湯のたぎる薬缶は、鬱々と考え事を続ける山頭火の姿とも重なるかもしれません。