さみしい鳥よちゝとなくかよこゝとなくかよ│昭和五年十一月

解説

 昭和五年十一月九日の句です。前日に湯ノ原(現大分県竹田市の長湯温泉付近)に泊まっており、そこから現在の由布市にあるJR天神山駅の付近まで歩いています。
 当日の日記には、
昨日の道もよかつたが、今日の道はもつとよかつた、たゞ山のうつくしさ、水のうつくしさと書いておく、
山々樹々の紅葉黄葉、深浅とりどり、段々畠の色彩もうつくしい、自然の恩恵、人間の力。
頬白、百舌鳥、鵯、等々、小鳥の歌はいゝなあ。
等と書いており、豊かな自然を楽しみながら歩いたことが分かります。

 掲句は、この道中の出来事を詠んだものでしょう。
「さみしい鳥よ」「ちゝとなくかよ」「こゝとなくかよ」と呼び掛けの「よ」を繰り返し使うことで、リズムを生むとともに、「さみしい鳥」に対して丁寧に語りかけているような印象も生まれています。
 日記にはホオジロ、モズ、ヒヨドリが登場しますが、具体的な鳥の種類は想像するしかありません。ただ、これらの野鳥の鳴き声を聞いて詠んだものだろうと推測することはできます。

 「さみしい鳥」や「ちゝ」「こゝ」にどこまで意味を見出すかということは、解釈の余地があります。
 たとえば、鳥の鳴き声を「チチ」「ココ」と聞きなして、山の中にいるある鳥は「父」を呼びまたある鳥は「子」を呼んでいるという情景を作り、そこにさびしさを感じ取っているという句として解釈することもできます。そしてさらに踏み込むと、そこには鳥の鳴き声を友としながら歩く山頭火のさびしさも滲んでいるのではないかと考えることもできるでしょう。
 日記では単に「小鳥の歌はいゝなあ」と書いていますが、掲句を読むと、「いい」にも深みがあるのではないかと想像が膨らみます。