昭和八年に小郡の其中庵で詠んだ句です。
其中庵は東向きに建っており、西側には山があります。其中庵から見て月が後ろにまわるというのは、月が西に傾いたことを表現していると考えられます。
満ち欠け具合にもよりますが、月が満月に近いときには、月は夕方に東から昇り、夜が更けるにつれて西へ傾いていきます。「月がうしろへまはつた」という表現によって、夜が更け、明け方が近づいてきたことを表わしていると言えます。
それを踏まえると、掲句は、夜が更けても眠れないと詠んだ句だと言えます。実際山頭火はしばしば不眠に悩まされていました。掲句を詠んだ九月八日の日記にも、眠れなかったことが記されています。
今日は歩いてきて、そして昼寝もしないのに、どういふものか、一番鶏が鳴いて暁の風が吹くまで眠れなかつた、いろ/\さま/\の事が考へられる、生活の事、最後の事、子の事、句の事、(略)
また不眠の苦しみについて、次のように言っています。
不眠症は罰である、私はいつもその罰に悩まされてゐる(其中日記 昭和十年八月十九日)
さらに俳句にも、「ねむれない」ことを繰り返し詠んでいます。
鳴くかよこほろぎ私も眠れない 昭和七年
ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない 昭和九年
ねむれなかつた朝月があるざくろの花 昭和十年
春寒ねむれない夜のほころびを縫ふ 昭和十五年
掲句では、「うしろへまはつた」すなわち西に傾いた月が詠まれています。その情景描写とともに、「いつまでもねむれない」と不眠の苦しみを詠みます。月が傾いている情景と「ねむれない」という心情が重なり合うように伝わってくる句なのではないでしょうか。