てふてふひらひらいらかをこえた│昭和十一年七月

解説

 昭和十一年七月、福井県の永平寺にて詠んだ句です。蝶がいらかを越えて高く飛んでいく情景ですが、「てふてふひらひら」という同音の繰り返しやひらがなのみの表記が、その映像をより美しく見せています。

 山頭火は昭和十年末、「死に場所」を求めて旅に出ました。全国各地の俳句仲間や先人の足跡をたどりながら東北まで足を運びますが、そこで羽目を外してしまいます。その頃友人に出した手紙の中で、山頭火は次のように語っています。
「私はすつかり元気がなくなりました、引返さうと思ひます」(昭和十一年六月二十四日)
「私の中には二つの私が生きてをります、といふよりも私は二つの私に切断せられるのです(略)濁つた時にはすつかり虚無的になり自棄的になり、道徳的麻痺症とでもいふやうな状態に陥ります。(略)この矛盾の苦悶に堪へかねて、幾度か自殺を企てました、昨年の卒倒も実は自殺未遂だつたのです、此旅行だつて死場所を見つけるためでした」(昭和十一年六月三十日)
 このような精神状態で東北から小郡へ帰途につき、その途中永平寺に参籠しているときに詠まれたのが掲句です。その頃の日記を一部引用します。

おのづから流れて、いつも流れてとゞまらない生き方、水のやうな、雲のやうな、風のやうな生き方。
自他清浄、一切清浄。
だらけきつた身心がひきしまつて、本来の自分にたちかへつたやうな気分になつた。
 (昭和十一年七月六日)
新山頭火となれ。
身心を正しく持して生きよ。
 (同八日)

 このような背景を考えると、この句で詠まれている情景は、現実に山頭火の目に映ったものではなく、山頭火の心象風景であると考えられます。死から生への方向転換を、いらかを越えて飛ぶ蝶に託して詠んでいると言えるのではないでしょうか。