昭和八年、小郡の其中庵での句。前年の九月に其中庵に定住し、初めて迎えた初夏です。
掲句の「土へまいてゆく」は、畑の土へ種をまいていることを詠んでいると考えられます。其中庵で山頭火は、畑を作り野菜を育てていました。日記にも次のような記述が見られます。
土を耕やして大根を播いた、土のなつかしさ、したしさ、あたゝかさ、やはらかさ、やすけさ、しづけさ。…… (昭和七年九月三十日)
今日はほうれんさうを播いた、(略)
播く――何といふほがらかな気持だらう。 (昭和七年十月五日)
さう/\戻つて畑地を耕した、この方が私には愉快でもありまた相当してゐるやうだ。 (昭和八年四月二十九日)
畑仕事をすることに対して、「したしさ」「ほがらかな気持」等と言い、自分に合っている、と書いています。
さて、句には「しめやかな」とあります。「しめやか」とは「しっとりと落ち着いていて、もの静かなさま。ひっそりと静かなさま。ゆったりと落ち着いたさま」(『日本国語大辞典第二版』)等を表わす語です。山頭火の句でも次のように使われています。
しめやかなゆふべの土に柚子がおちてゐた 昭和八年
草のうつくしさはしぐれつつしめやかな 昭和十一年
掲句の「しめやかな土」は、しっとりと水分を含んだ柔らかな土を表現しています。一方「ゆふべ(が)しめやか」とも解釈でき、静かでゆったりとした時間の流れる夕方、という印象を与えます。おそらく上下どちらの語ともゆるやかに結びつくことで、句全体に〝しめやかさ〟を感じさせ、句の情景に流れる空気感や土の感触を伝えているのでしょう。
掲句では「しめやかな」が軸となり、静かな夕方、しっとりとした土に、これから芽を出し育っていく種を大切にまいてゆく情景を表現しています。