あるがまま雑草として芽をふく│昭和十年

解説

 昭和十年の句。二月の日記で
  雑草あるがまま芽ぶきはじめた
と詠んでいるのをのちに推敲したのが掲句です。

 山頭火は〝雑草〟に対して深い思い入れをもっていました。特に、昭和九年に旅先で肺炎を患い、やっとのことで小郡に戻ってきてからは、雑草を詠んだ句も多くなります。
  生えて伸びて咲いてゐる幸福
  ひとりひつそり雑草の中
そして、『雑草風景』(昭和十一年)と題した第四句集の後書きには

私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる。雑草は雑草として、生え伸び咲き実り、そして枯れてしまへばそれでよろしいのである。

と書いています。自らを雑草のようだと言う山頭火は、道端や庭隅に生える名も知らないような雑草に親しみを感じていたのでしょう。似たような言葉はこの頃の日記にも見られます。

草のうつくしさ、萠えいづる草の、茂りはびこる草の、そして枯れてゆく草のうつくしさ。
雑草! その中に私自身を見出す。

「其中日記」昭和九年十一月二十六日

雑草! 私は雑草をうたふ、雑草のなかにうごく私の生命、私のなかにうごく雑草の生命をうたふのである。
雑草を雑草としてうたふ、それでよいのである、それだけで足りてゐるのである。

「其中日記」昭和十年四月六日

これらを読むと、生命力豊かに伸び、咲き、実り、枯れていく様に、「あるがまま」生きる姿を見ていることが分かります。「在るがままに在らしめ成るがままに成らしめる、それが私の心境でなければならない。」(昭和十年三月八日)とも書く山頭火には、そのような雑草が理想の生きざまに思えたのかもしれません。
 掲句は、「雑草を雑草として」詠い、周りに流されず自分らしく生きていくことへの賛美が込められていると言えるでしょう。