大正五年三月号の『層雲』に掲載された句。「春かへるまで」と題して掲載された十句のうちの一句です。他には、
夢深き女に猫が背伸びせり
山鳴の鳴りうつる山の夕づく日
のような句が載っています。当時、種田酒造場の経営は破綻に向かっていましたが、『層雲』上では勢いのある俳人として活躍していた時期でした。
大正初期の山頭火の句は、句集『草木塔』に収録され現在もよく知られている句とは詠みぶりが異なります。
例えばこの時期の山頭火の句には、五・七・五の型が感じられるものもあります。掲句も、八・七・五と数えることができ、さらに「消えたり」で句切れがあります。また、「たり」「風立ちぬ」のように文語を使っているのも、大正初期の句の特徴であると言えます。
さて、掲句を読んでみると、跫音(あしおと)が近づいてきたが「ハタ」と消え、風が吹き出してきた、と詠んでいます。
「ハタ」というのは擬態語で、ここでは急に足音が止んだことを表わしています。この「ハタ」の直後で「消えたり」と句切ることによって、足音が突然聞こえなくなったことがより効果的に伝わります。下五では「風立ちぬ」と言い切り、急に吹いてきた風の音や勢いが想像されます。
ちなみに「風立ちぬ」と言うと、ジブリ映画『風立ちぬ』の題材にもなった堀辰雄の小説『風立ちぬ』が想起されますが、こちらは昭和十一年に発表されたもので、大正五年に詠まれたこの句との関連はありません。
掲句は、視覚的な情報はほとんどありませんが、聴覚や触覚に訴えるような表現によって、遠くからだんだん近づいてくる足音や、その足音がふと聞こえなくなる瞬間、足音をかき消すようにして吹き出した風の音などが臨場感をもって感じられます。その臨場感は、五・七・五に近い型をもっているからこそ生まれたものだと言うこともできるかもしれません。