昭和八年一月二十五日、雪の日に小郡の其中庵(ごちゅうあん)で、次のような句を詠みました。
雪ふる其中一人として火を燃やす
これを雑誌『層雲』に掲載するときに
其中雪ふる一人として火をたく
と改作し、自選句集『草木塔』で「火をたく」を「火を焚く」と改めたのが掲句です。
この日は小郡で親しくしていた句友国森樹明に子どもが産まれ、山頭火も大変喜んでいたことが日記に書かれています。この日の日記の中には、
おだやかな私と焚火だつた。
という一文が見られます。
「其中」とは「其中庵」の「其中」ですが、そもそも其中庵という名前は、法華経のうちの普門品(別名観音経)の中に出てくる「其中一人作是唱言(ごちゅういちにんさぜしょうごん)」から取っています。
さて、「火を焚く」(改作前は「火を燃やす」)とある掲句のように、火鉢等の火を詠んだ句はいくつもあります。中でも「ひとり」と詠んでいるものは掲句の他にも見られます。
ひとりの火の燃えさかりゆくを 昭和七年
よう燃える火でわたしひとりで 昭和八年
ひとりの火をつくる 昭和十一年
覚めてひとりの秋ゆく火を焚く 昭和十三年
こころさびしくひとりまた火を焚く 昭和十五年
たったひとりで火に当たっているさびしさが伺える句もありますが、ひとりであっても暖かな火があることによって心地よく満ち足りている様子が詠まれている句もあります。
掲句でも、雪の寒い日に庵の中で火を焚いて温まっている、充足感が表現されているのではないでしょうか。