更けて雲からまんまるい月がうらぼん│昭和十五年八月

解説

 昭和十五年八月十八日の句。松山の一草庵に住んでいた時期です。
 当時は世の中が戦争に向かっており、米や砂糖が切符制になっていった時代でした。この頃にはほとんど行乞をしなくなっていた山頭火は、友人や息子に頼るしかなく、贅沢はできなかったようです。日記には「私の盆は淋しいなあ!」(十七日)「正直な胃袋がぐう〱飢を訴へるけれどしやうがない」(十九日)と書きます。

 さて、十八日の日記を見ると

夕方散歩、ほんにうつくしい満月が昇つた、十分の秋だつた、私はあてもなく歩いたが、何となくさびしかつた、流浪人の寂寥であり、孤独者の悲哀である、どうにもならない事実である。

とあり、秋らしく美しい満月を見ながら歩いたにも関わらず寂しかったと言います。丸々と満ちた月を見て、自分の孤独や貧しさが余計に身に沁みたのでしょうか。
 続いて十九日の日記には、

私の盆はまさしく原意通りのうらぼん――懸垂苦――だ、米がないし煙草もない!

とあります。「盂蘭盆」は陰暦七月十五日に行われる仏事のことを指しますが、もともとは「倒懸(さかさまにつるされること)」を意味するサンスクリット語の音訳で、餓鬼道等に落ちて倒懸の苦しみを受けている者を救う仏事のことを言う語です。山頭火は、お盆の時期に食べるものも煙草もない苦しみを、「盂蘭盆」の原意である「倒懸」の苦しみだと言っているのです。

 掲句は、夜が更けて空の高いところに昇ってきた満月を見ながら、亡くなった父や母を思う、とシンプルに解釈することもできます。
 しかし、この時期の山頭火の日記を読めば、句の「うらぼん」はその原義をも含んでおり、戦争へ向かっていく社会の隅で貧しく生きる俳人の苦しみや寂しさが滲んでいるようにも解釈できるかもしれません。