大正五年四月、大道の種田酒造場が破産し妻子とともに熊本へ移り住んだことは、山頭火の人生の大きな転換点の一つだと言えます。
大道に住んでいた時代は、全国的に「新傾向俳句」が興隆を見せており、山頭火もその風潮に乗って句作に熱中していました。防府の「椋鳥会」という句会に参加しながら荻原井泉水主宰の雑誌『層雲』に投稿し、『層雲』内で瞬く間に地位を確立しました。
掲句も、大正五年六月号の『層雲』に「寂しき春」と題して十一句掲載されたうちの一つです。掲句のほかには
雪かぎりなしぬかづけば雪のふりしきる
淋しき夕餉しまひたり電燈ともる
などの句が載っています。六月号ですが、実際に句が詠まれたのは四、五月、燕が巣を作り始めるような時期のことでしょう。大道の家を出て熊本に移るまさにその時のことを詠んだ句ではないかと考えられます。
燕は春になると人家の軒下に巣をつくり、そこで雛を育てます。雛は成長すると巣立ち、秋になると南下しますが、春になるとまた日本に戻ってきます。
「しみじみと家出かな」の「しみじみ」には、家出の状況を考えるとさまざまな思いが込められているのではないかと想像できます。種田家をどうすることもできず家を出るしかなかったのではないだろうか。一方で、家族・ふるさとと離れることに後ろ髪を引かれるような思いもあったかもしれません。
空をとびかう燕は、苦渋の決断の末に家出をしようとしている人間とは無関係に、これまでと変わらず軒下の巣に帰るのでしょう。
燕が颯爽と飛び交う空を眺めながら、燕とは違って自分はもうこの家に戻ることはない、そのことを噛みしめながら私は今家出をするのだ。山頭火のこの時期の状況を考慮すれば、このような解釈も可能なのではないでしょうか。