昭和八年の句。前書きに「亡母忌日二句追加」とあります。
明治二十五年三月六日、山頭火の母は若くして自死します。この出来事は山頭火の中で、生涯忘れることのできない心の傷として残り続けました。母を詠んだ句もあり、日記でも命日に母について綴ることもあります。日記の記述を読むと、長い年月が経っても深い悲しみが残っていることや、亡き母に誇れるような人生でなかったことを省みている様子がうかがえます。
母の祥月命日、涙なしには母の事は考へられない。 (昭和九年)
仏前にかしこまつて、焼香諷経、母よ、不孝者を赦して下さい。
(昭和十五年)
命日である三月上旬の頃はちょうど、気候も春らしくなってきて、畑や河原などで菜の花が咲きはじめる時期ですが、菜の花を詠んだ句には、母が亡くなったことだけではなく、昔のさまざまなことを懐かしむ句がいくつか見られます。
菜の花よかくれんぼしたこともあつたよ 昭和八年
ふるさとはおもひではこぼれ菜の花も 昭和十年
こぼれ菜の花もをさないおもひで 昭和十三年
掲句では、「おもひでは菜の花のなつかしさ」とあり、母との思い出の一場面に菜の花があったことを思わせます。そのなつかしい菜の花を、母の霊前に供えたのでしょう。
菜の花については同じく昭和八年の日記に「水仙のつめたきもよいが花菜のあたゝかさもよい。」とあり、黄色く明るい花を一面に咲かせる菜の花に、「あたたかさ」を感じていたことが分かります。
日記に記す母に対しての思いとは異なり、この句は「おもひで」「なつかしさ」などの言葉、そして「菜の花」という言葉の音からも「あたたかさ」を感じられるのではないでしょうか。
菜の花を供えて亡き母を思う、おだやかであたたかさのある一句です。