昭和八年八月八日の句。この日山頭火は、小郡の其中庵を出発して短い行乞の旅に出ています。この日は現在の美祢市秋芳町あたりで行乞し、一泊しています。
昭和八年八月八日は、ちょうど立秋でした。山頭火も歩きながら、はやくも萩の花が咲いているのを見つけています。また、同日には
かなかなもなきやんだ晩飯にしよう
という句も詠んでおり、ここにも夏の終わりが感じられます。
しかし前日の八月七日の日記を見ると、
すこし飲みすぎですこし朝寝、しかし天地明朗である、夏の日を感じる。
とあります。句の前半「旅はいつしか秋めく」は、前日には其中庵で夏らしい日を過ごしたが、山に囲まれた秋吉台あたりまで歩いてきて、いつの間にか景色が秋らしくなっていると気づいたということでしょう。
そして後半は、「山に霧のかゝるさへ」とあり、非常に余韻を残した句になっています。「さへ」の後に続く言葉はある程度想像の余地がありますが、句の前半も考え合わせると、山が霧に覆われていることさえ秋らしく感じられる、と詠んでいるのではないでしょうか。「秋めく」が繰り返され、句が冗長になるのを避けるために省略したと考えられます。
さて、霧という現象自体は特に季節問わず現れますが、文学の世界では秋のものとして扱われ、秋の季語にもなっています。霧=秋という前提がある場合、「かゝるさへ」というような詠み方にはなりません。むしろ霧がかかるのはまさに秋らしい、という詠み方をするでしょう。
しかし山頭火の霧の句を見てみると、秋以外の季節に詠んだものもあります。季語の概念がない自由律俳句では、霧という言葉に秋の季節感が必ずしも付随するわけではないため、「霧のかゝるさへ」と、少しの驚きをもって霧に秋らしさを見出しているのでしょう。
山に囲まれた景色の中に秋の訪れを感じ、さらにその山にかかる霧にも秋らしさを見出している、立秋の日の一句です。