昭和九年五月の句。この年の三月、山頭火は東日本方面への長い旅を計画して小郡を出発しました。広島、神戸、名古屋等を経て、長野県の伊那にある井上井月(いのうえせいげつ)の墓に向かう途中、飯田で肺炎を患い入院するという事態になります。結局井月の墓参は果たせず、四月二十九日に小郡に戻ってきました。
身心ともに弱った状態で帰庵した山頭火は、その日の日記に
四月二十九日、暮れて八時過ぎ、やうやく小郡に着いた、(略)労れた足をひきずつて、弱い体を歩かせて、庵に辿りついた、夜目にも雑草風景のすばらしさが見える。 (略) ふるさとはすつかり葉桜のまぶしさ
と書いています。出発した時と季節が大きく変わり、若葉の萌え出るような季節になっていたため、この頃の句や日記にはほかにも
北国はまだ春であつたのに、こちらはもう、麦の穂が出揃うて菜種が咲き揃うて、さすがに南国だ。(五月一日) 生きて戻つて五月の太陽(五月八日)
など、自然を賛美する言葉が並んでいます。
さて、掲句の「生えて伸びて咲いて」の部分では、「て」を用いて動詞を次々に続けることによって、植物がぐんぐんと成長していく様子を表現しています。其中庵のまわりの雑草や草花などが青々と茂っていく様子が、定点カメラの倍速映像のように目に浮かんでくるようです。
そして最後に「幸福(しあわせ)」と結んでいますが、ここで、「生えて伸びて咲いて」いるのが自然だけではなく、山頭火自身のことも表しているのだろうと推測できます。
肺炎から何とか回復して生きて戻ってきた山頭火は、美しい自然を目にしたり句を作ったりすることができていることに幸せを感じているのでしょう。生きていることのありがたさを直接的に「幸福」という言葉で表現しており、山頭火の句の中でも非常に明るい句になっています。