みんな寝てしまつてゐるポストのかげがはつきり│昭和八年八月

解説

 昭和八年八月八日、山頭火は小郡の其中庵から長門市仙崎まで短い行乞の旅に出ました。約一週間後の十四日、其中庵に戻ってきた日の日記には

急テンポで於福行乞、途中また堅田行乞、急いで帰庵したが、五時を過ぎてゐた、
(略)
於福から八里歩いて戻つて、戻るなり樹明居へ押しかけて、お盆のお経をあげてお盆の御馳走になつた、たいへん酔うた、道がわからなくて樹明君に途中まで送つて貰つた。……

とあり、夕方に帰庵した後、句友の国森樹明を訪ねたことが分かります。また「たいへん酔うた」とあるため、樹明居に長居したのではないかと推測できます。
 掲句はこの日に詠まれたものであり、樹明居からの帰り道のことを詠んだものと考えられます。

 さて、「かげ」(影)という言葉には、「月かげ」というときの「光」、「人影」などというときの「物体の姿」など様々な意味がありますが、ここでは「影法師」というときの「影」と捉えられます。月の光、または街灯の光によってポストの影がはっきりとできていた、という情景でしょうか。
 『山口・防府の昭和』(樹林舎・2014)等に掲載されている昭和初期の写真をみると、商店街などには街灯が立ち並んでいた様子が分かります。山頭火が通りかかったポストの脇に、街灯が立っていたのかもしれません。
 あるいはこのポストは、月の光に照らされているという可能性もあります。ただし山頭火の八月六日の日記に月が綺麗であったことや「はぶさう葉をとぢてゐる満月のひかり」という句が書かれていることから、十四日は満月から一週間程経過していると考えられます。月の光による影と解釈するなら、相当夜の深い時間ということになるでしょう。

 真夜中に酔って其中庵に帰る道すがら、街灯あるいは月の光によって照らされたポストの影がくっきりと映っていたという解釈ができます。人々が寝静まっている時間帯にポストの存在感だけが際立つような情景が浮かびます。