梅もどき赤くて機嫌のよい頬白目白|昭和九年二月

解説

 其中庵から北九州近辺への短い旅に出立する日の句です。日記には「北九州めぐり」とありますが、糸田(現・田川郡糸田町)まで足を延ばした旅でした。昭和九年二月十九日に出発し、 その日のうちに長府(現・下関市)の近木黎々火を訪ねます。その後も兼崎地橙孫や飯尾星城子、滝口入雲洞、木村緑平など、俳句雑誌『層雲』同人を訪ねながら、俳句を作りました。旅に出る前の山頭火は、 心が沈んで落ち着かず、イライラすることもあったようです。この頃の日記には、

 この身心のやりどころがないのだ、泣いても笑ふても、腹を立てゝも私一人なのだ(昭和九年二月七日付)

 と記しています。近くに住む俳句仲間の国森樹明や伊東敬治が、頻繁に訪ねてきてはお酒を飲んだり泊まったりしていましたが、友情に感謝しつつも拭いきれない孤独を抱えていました。 そういった憂うつな気分を変えるためであり、後に東方への旅に出る前哨戦としての旅でした。
 旅に出た解放感と山を歩いたことで気分がリフレッシュされたのでしょうか、句には明るさがあります。梅もどきは、主に赤い実がなる落葉樹で、葉が梅に似ていることからその名がついていますが、 モチノキ科の木でヒイラギなどの仲間になります。秋頃から葉が落ちて冬には実だけが枝に残るため、枝間からその色が鮮やかに映え、庭木や鉢植えなど観賞用としても親しまれています。ちなみに、 梅もどきの実は熊が好んでよく食べます。花の蜜などを吸う小鳥がついばむこともあるのでしょう。山頭火もちょうどホオジロやメジロが枝の間を飛び交う様子をみて、それが機嫌よく見えたのでしょう。 また、旅で山を歩いたことで気分の良くなった自分のことを言っているようにも受け取れます。
 ホオジロやメジロが赤い実の映える枝の間を渡る様子は、見ているだけでほほえましい光景だったでしょう。またホオジロもメジロも鳴き声が特徴的で、耳からも楽しめる鳥です。
 山の中を歩き、楽しそうに枝を渡る小鳥の様子や色鮮やかな木の実を目にしたことで、明るい気持ちをとりもどしたようです。