寝ざめしん/\雪ふりしきる

解説

 昭和八年一月、小郡の其中庵(ごちゅうあん)にて詠んだ句。
 日記を読むと、この日は、朝目が覚めると雪が降り積もっていたということが分かります。

すこし早目に起きた、(略)
ところが、雪だ、このあたりには珍らしい雪だ、冷えることもずゐぶん冷える、何もかも凍つてゐる。

そして其中庵から見た雪景色の美しさを描写していきます。

雪景色はまことにうつくしい、枝や葉につもつた雪、ことに茶の木、松の木、南天の雪、とりわけて柿の裸木にところ〲つもつた雪、柿がよみがへり、雪がいき〱とする、草の芽がすこし雪の下からのぞいてゐるのはいぢらしい。

 さて、「しんしん」という言葉は、静まり返っている様子を意味する場合と、寒さが身にしみることを意味する場合があります。今回の場合、日記にも「冷えることもずゐぶん冷える」とあり、身にしみる寒さを味わっている様子を表しています。同時に、降り積もった雪が周囲の音を吸い込んでしまうような、雪の日独特の静けさも表現していると思われます。山頭火も、
雪のしづけさのつもる(昭和八年)
雪はしづかにみんなしづかに(昭和九年)
等、雪の日の静まり返った様子を句に詠んでいます。

 目覚めたときに、五感のうち視覚以外が優位になるということは、経験のある方もいるのではないでしょうか。当該句を読むと、ひんやりと身にしみるような寒さと静まり返った空気を感じ取った、寝覚の床での山頭火が思い浮かびます。そしてその「しんしん」していることから、雪がふりしきっているのだと分かる、と詠んでいます。
 五感を研ぎ澄まして感じ取った雪の朝の空気を、「しんしん」という言葉で的確に表現した、寝覚の床での一句だと言うことができるでしょう。