春は多くの植物が芽吹く季節です。春風が連れてくる暖かさによって植物は芽吹き、花を咲かせ、やがて散っていきます。句は、そうした自然の流れを描写するとともに、人が生きる姿を俯瞰しているようにも受け取れます。
山頭火にとって、春は活動開始の時期でもあります。草木の芽吹き、日差しや吹く風の変化などから、その気配を敏感に感じ取り、触発されるのかもしれません。日記には、およそ立春を過ぎた頃から春の到来についての記述が多く見られるようになります。すっかり春めいているときだけでなく、
春の粉雪がさら〱とふる、もう春だ、春だとよろこぶ(昭和九年二月八日)
なか/\寒い、霜がつめたい、捨てた水がすぐ凍るほどであるが、晴れてうらゝかで、春、春、春(昭和十年二月二十一日)
など、多少寒さが残っていても、春の兆しをいち早く見つけています。特に其中庵に暮らすようになってからは、こうした春の訪れを感じ始めると、毎年ではありませんが旅に出る準備をはじめています。
句を詠んだ八日後、山頭火は旅に出ます。出立前日の日記には、
旅、旅、旅―私を救ふものは旅だ、旅の外にはない、旅をしてゐると、人間、詩、自然がよく解る。(昭和十三年三月十一日)
とあります。寒い冬の間、じっと静かにしていたことで自身の内に停滞したものを解放するために、どこかへ出かけたくなるのかもしれません。他の年でも、この時期の行先の多くは下関や福岡、大分など句友が多くいる近郊がほとんどです。庵の外に出て友に会うことも、新鮮な空気を吸い込むような心持ちだったのでしょう。旅は山頭火にとって身内の浄化でもあったようです。いずれは散っていく人生であっても、春の新しい風に吹かれるまま、突き動かされるように旅に出ては自分を取り戻すことを繰り返しながら、生き抜こうという思いが感じられます。