この句は、山頭火が小郡の其中庵に住んでいた、昭和九年十二月二十四日に詠まれました。
この年の春、山頭火は「自己の真実を俳句として打出するため」に旅に出ましたが、長野県飯田で肺炎を患い、一週間入院する事態になります。志半ばで帰庵してからも体調の優れない日々が続き、この句を詠んだ日の日記にも、
老衰をひし/\と感じないではゐられなかつた
と書きます。そしてそのためか、この年の日記には、生死についての記述や俳句が頻繁に見受けられます。
肋膜の工合が変だ、うまく死ねないものか!(七月十日)
一切は死に対する心がまへ、死についての身じまひではなからうか(七月二十日)
このように自分の体が衰えたことを実感し、死に対する心境を頻繁に綴っていますが、一方で、
生きて戻つて五月の太陽(五月九日)
青葉そよぐ風の、やぶれた肺の呼吸する(五月二十五日)
等の句では、病に倒れたからこそ実感する自分の生を詠っています。
そして年末には次のような境地に至りました。
いつでも死ねる―いつ死んでもよい覚悟と用意とを持つてゐて、生きられるだけ生きる安心決定で生きてゆきたい。(十二月二十三日)
病みてしみ〲生を味ふ、死を観じつゝ。(十二月二十七日)
体が弱くなったことを感じて「死」を意識しつつ、それゆえ生きていることを実感し、「生きてゆきたい」と感じたのでしょう。
さて、今回の句では、水をくみながら「生きてゐることがうれしい」と感じています。水は、日常的に身近に存在するものであると同時に、生命を維持するために必要不可欠なものでもあります。
「いつでも死ねる」という覚悟を持ちながら「生」を味わう山頭火の、水をくんだときにふと感じた「生きている」という実感が、非常にストレートな言葉で表現されている一句です。