この句は、昭和七年六月、下関の川棚温泉に滞在していた時期の句です。
緑平老すなわち木村緑平は、山頭火より六歳年下の『層雲』同人で、この頃は福岡県の糸田で炭鉱医をしていました。山頭火と初めて出会ったのは大正八年で、それから生涯にわたって山頭火を支援し続けた人物です。昭和七年前後の山頭火の日記から緑平について書かれている文章を拾ってみると、
「緑平老はあまりに温かい、そつけないだけそれだけしんせつだ、友の中の友である。」(昭和七年五月二十九日)
「晴、緑平老を迎へる日である、待つ身のつらさを味ふ。
夕方の汽車で来てくれた緑平老を駅に迎へた、うれしかつた、(中略)
ふと眼がさめる、あたりを見まはすと、明けはなつた部屋の蚊帳の中に、緑平老とならんで寝てゐる!ありがたかつた。」(昭和八年七月八日)
などとあり、緑平のことを心から慕っていたことが読み取れます。
実は、山頭火の日記を見る限り、この句が詠まれた頃山頭火は緑平に会っていません。
ここで「あんたのにほひ」に注目してみると、後ろの「ドクトルなり」という注意書きから、緑平と会うたびに感じられた医者らしい匂いのことを言っているのではないかと考えられます。嗅覚は記憶を呼び起こすと言われています[注]。この句では、受け取った手紙等から感じられた匂いに、緑平を思い出して「ひさしぶり逢へた」と詠んだのではないでしょうか。
ちなみに、括弧書きにある「彼氏」は昭和初期に作られた造語で、当初は「彼」に敬称の「氏」を添えた語として、「彼」と同義で用いられていました。山頭火は日記でも、「日暮に樹明来庵、久しぶりな会飲だつた、(略)やつと帰庵、彼氏も泊る、」(昭和九年十一月)と当初の用法で用いています。
においから相手のことを思い浮かべて「久しぶりに会えた」と思うほどの、緑平に対する深い友情がうかがえる句です。
[注]
日医on-line においと記憶(https://www.med.or.jp/nichiionline/article/008191.html)