この句は昭和十年四月十六日付の日記にある句です。句を詠んだ日の日記には「十何日ぶりに入浴」とあります。その前の日記をみると四月五日に入浴したことが記されているので、十一日ぶりの入浴だったことがわかります。
山頭火は、其中庵に住んでいた頃、湯田温泉にある千人風呂という大衆浴場によく行っていました。山口で行乞をした帰りや、友人が庵にたずねてきた際に連れ立って行くなどしています。また、心身のリフレッシュを目的にもよく通っていたようです。広い浴場でたっぷりの熱い湯につかると、体も心もあたたまることで再び日常に帰っていくことができるという心情は、温泉旅行をした方などには共感できるものではないでしょうか。
この頃の山頭火は遠方への旅には出ず、其中庵で過ごすことが多い日々でした。というのもちょうど一年程前、旅先の飯田(長野県)で肺炎にかかり、入院を余儀なくされたため、目的を果たせないまま帰庵したことがあり、体力に自信をなくしていたのです。戻ってすぐは近隣を少し歩いただけで疲れるなど、体力の回復にはしばらくかかりました。回復した後もほとんど庵で過ごし、たまに出る旅も徳山(現周南市)や北九州など近隣の友人を訪ねる程度でした。
一日の大半を庵で過ごすようになると、句作に生きる決意や、どのような俳句を作るべきかといったことも考えるようになり、たびたび日記に記しています。その過程で苦悩することも増え、句が記された日の三日前の日記には
私は何故死なゝかつたか、昨春、飯田で死んでしまつたら、とさへ度々考へた。
と記しています。こうした悩みからくる憂うつな気分を解消しようと、湯田へは気分転換もかねて温泉に入りに行っていたようです。大きなお風呂で手足を伸ばし、熱い湯につかって汗をかくと同時に、目には見えない涙も流し、心の内にある様々なものも洗い流されてゆくように思えたのかもしれません。