ならんであるく石だゝみしめるほどの雨|昭和七年二月

解説

 この句は昭和七年二月四日付で福岡にある隣船寺の田代宗俊和尚に宛てて旅先の長崎から送った書簡にあります。
 昭和六年十二月に熊本を出発した山頭火は、約七ヶ月かけて九州を旅します。各地で俳句仲間を訪ね、交流を深めていたようです。
 途中、長崎では昭和七年二月三日に、雑誌『層雲』同人の松本十返花を訪問しました。山頭火を迎えた十返花は、翌日、唐寺を巡拝したり大浦天主堂を礼拝したりと名所を案内します。そして夜には山頭火歓迎句会を開き、同じく同人の松尾敦之などの仲間も加わって夜遅くまで語り合いました。

 この日のことを山頭火は「よい一日よい一夜だつた」と日記に記しています。十返花に会いに行く二日前に長崎入りした山頭火ですが、道中の景色を楽しみながらも気が滅入り、「さみしくてかなしくて仕方がなかつた」と言っていたので、想像以上のもてなしを受け、楽しさもひとしおだったのかもしれません。

 山頭火は一人で旅をしているため、道中で知り合う道づれはあっても、同じ目的で同行する友人と並んで歩くことなど、あまりないことだったでしょう。日記には「おなじ道をゆくもののありがたさ」と記しており、一人の道中で感じていた仕方がないほどの寂しさがあっただけに、句の「ならんであるく」には、友人たちと同行できる山頭火の喜びが込められているように受け取れます。また、「石だたみ」や「雨」は現在でも長崎の名物といえるもので、この旅で名所を巡った山頭火の、長崎での印象がつまった句になっています。


 五日間にわたって歓待を受けた山頭火は、友人たちと別れ、遊びすぎて何もできなかったと反省し、「すまないような、放たれたやうな気分」で旅を続けます。友に歓待されて心が満たされ、再び一人になる元気をもらったようです。