この句は、昭和五年九月三十日に詠まれた句です。
九月の上旬に熊本を出立して旅に出ており、鹿児島・宮崎方面を歩いていた時期の句で、絶えず聞こえてくる波の音を聞きながら遠いふるさとを想い起こしている句です。
この句を詠んだ当日、山頭火は青島へ行き、日記には次のように書いています。
久しぶりに海を見た、果もない大洋のかなたから押し寄せて砕けて、白い波を眺めるのも悪くなかつた(宮崎の宿では毎夜波音が枕にまで響いた、私は海の動揺よりも山の閑寂を愛するやうになつてゐる)。
また前日には
言葉といへば此辺の言葉はアクセントが何だか妙で、私には解らないことが多い、言葉の解らない寂しさ、それも旅人のやるせなさの一つである。
と記しており、余計に郷愁にかられたのでしょう。
山頭火が「波の音」を詠んだ句はいくつかありますが、なかでも、
波音おだやかな夢のふるさと(昭和十四年)
は、今回の句と同様に、浪の音を聴きながらふるさとを想っている句です。ほかには、
波音遠くなり近くなり余命いくばくぞ(昭和五年)
波音のたえずして一人(昭和十四年)
いちにち物いはず波音(昭和十四年)
などのような句があります。
波の音は、一定のリズムを刻みながら途切れることなく響いてくるものです。山頭火はそのような波音を、物思いに誘うものとして捉え、これらの句に詠んでいます。
ふるさとを出て、ふるさとには帰らなかった山頭火ですが、このように旅の途中で、波の音をきっかけにしてふるさとを思い出すこともあったのです。