汽車がいつたりきたりぢつとしてゐない子の暑いこと|昭和十年七月

解説

 この句は、昭和十年七月二十七日に詠まれた句です。
 日記を読むと、この日に小郡の其中庵(ごちゅうあん)を出発し、汽車に乗って門司へ向かい、八月三日まで一週間ほど福岡の友人たちを訪問するなどして過ごしていたことが分かります。
 前書きにある「小郡駅」とは現在の新山口駅です。小郡駅には、昭和十年当時すでに山陽線のほか、現在の山口線・宇部線も通っておりいくつもの汽車が行き来していたことが想像できます。
 汽車がいくつも駅に出入りし、小さな子どもが動き回る、そのようなざわざわとした待合室の様子がこの句では描かれています。そしてその様子を山頭火は「暑いこと」と詠んでいます。歩くことの多かった山頭火は、このような駅の暑苦しいほどの賑わいを、新鮮に感じていたのかもしれません。
 さらに、この日の日記を読むと、小郡から乗った汽車では初めて「食堂にてビール一本さかな一皿」を味わい、また門司駅(現在の門司港駅)では一二等待合室にて友人と「アイスクリームを食べつゝ会談」したと書かれており、汽車での旅を楽しんでいる様子が書かれています。

 ところで、山頭火は「汽車」をよく句に詠んでいますが、その多くは歩いている途中で汽車が走っている様子を見て詠んだものがほとんどです。たとえば、

  汽車が通れば蓬つむ手をいっせいにあげ(昭和七年)
  青田いちめんの長い汽車が通る(昭和八年)
  風吹きつのる汽車はゆきちがふ(昭和十四年)


 など、汽車が通過する風景を映像的に詠んでいるものがいくつも見られ、これらの句からは汽車のスピード感も伝わってきます。
 しかし、今回の句は、これらの句とは違い自分が汽車に乗る際に詠んだものであり、珍しい句と言えます。

 基本的に徒歩で旅をしていた山頭火ですが、このように汽車に乗ることもありました。この句と当日の日記からは、いつもと違う汽車での移動を楽しむ様子が伝わってきます。