この句は昭和八(一九三三)年五月二日の日記に記されている句です。この頃山頭火は其中庵に暮らしていました。
この句が記された二日前の日記には、夕方から土砂降りの雨が降ったことが書かれています。その雨で庵の周りには草もよく茂っていたのでしょう。草取りは晴れているよりくもっている方が向いています。当日の天気は「曇、明るい雨」とあり、その空模様を見て今日は草取りをするぞと気合いを入れた印象を受けます。
この日の日記には
草をとりつつ何か考へつつ
という句も記されています。また別の日の日記には
晩春から初夏へうつる季節に於ける常套病―焦燥、憂鬱、疲労、苦悩、―それを私もまだ持ちつゞけてゐる。
とあります。山頭火の脳裏にも様々なことがよぎり、草を取りながら考え事をしていたのでしょう。
しかしモヤモヤとした気持ちで始めた草取りも、下を向いて手を動かしていると次第に無心になり、頭も心も整理されてすっきりするというご経験をされた方もいるかと思います。現在も五月病などといいますが、山頭火もこの季節特有の病を抱えていたからこそ「草とりデー」と軽やかに表現し、それらを払拭する効果を狙ったのかもしれません。
新緑の季節、四月から新たな生活をはじめられた方などは、不安や緊張が解け始めると疲れも出てきます。機会がありましたら、春の憂鬱をすっきりさせる方法の一つとして試してみてはいかがでしょうか。