この句は、昭和七年四月十一日、佐賀県唐津市付近から福岡県糸島市付近を行乞した日のものです。前後の日記を読むと、
四月九日
花、花、花だ、満目の花だ、歩々みな花だ、
四月十一日
木の芽はほんたうに美しい、花よりも美しい、此宿の周囲は桑畑、美しい芽が出てゐる、無花果の芽も美しい。
四月十三日
遠山の姿もよい、いちめんの花菜田、(中略)晴れわたった空、吹くともなく吹く風、馬、人、犬―すべてがうつくしい春のあらはれだつた。
このように、春の花や芽や風景を目にしてその美しさを味わいながら旅をしていたことがうかがえます。
歩くことの多かった山頭火ですが、この句のように、「窓」を詠んだものはいくつもあります。そのうち、春の句をいくつか挙げてみます。
雑草が咲いて実つて窓の春は逝く(昭和九年五月)
窓あけて窓いっぱいの春(昭和十三年)
これらの句では、部屋の中から窓をとおして見た外の景色を「春」と詠んでいます。さらに、
窓一つ芽ぶいた(昭和七年四月)
一ひら二ひら窓あけておく(昭和九年三、四月)
これらの句では、窓が、春を屋内にも呼び込む役割を果たすものとして詠まれています。
この句でも、春の美しい景色を求めて窓を開くという、希望に満ち溢れた気持ちが詠まれています。さらに解釈を広げるならば、それは比喩的に、心を外へ開き、春のような美しさや希望を自身へ取り込んでいくということも、この句からは読み取ることができるでしょう。