春風のテープもつれる別れもたのしく|昭和十三年三月

解説

 この句は昭和十三(一九三八)年三月二十日の日記に記されている句で、同月十二日に出発した大分の旅で詠まれました。
 この日の日記には

 申分のないお天気、ほんたうに好い季節。 早く眼覚めて入浴、散歩、そして、……豊後富士の姿はうつくしい、朝にかゞやいた時は殊に。
 宿の居心地がよいので、もう一日逗留することにして、行きあたりばつたり方々を見物する、人出が多い、恵まれた日曜だ。
 波止場に立つて出港するすみれ丸を見送り、入港するあかつき丸を迎へる。

 とあります。天気の良い日曜日の春を満喫している様子がよくわかります。前夜は久しぶりにぐっすり眠ることができて、気分もよかったようです。
 船旅の見送りに紙テープを使って別れを惜しむ演出は、大正四(一九一五)年に日本人が発案したとの説があります。それが始まりとすると、この頃すでに二十年以上経っており、港の風景として定着していたことになります。色とりどりの紙テープが何本も伸び、風になびいてもつれる様子は〝申分のないお天気〟に映えて華やかな演出としてたのしく見えたのでしょう。
 この後山頭火は

 ―別府三泊は長過ぎた、気分も倦怠したし旅費も乏しくなつた、 明朝は降つても照つても立たう。

 と決め、翌朝八時に由布院へ向かいます。
 この旅に出た時、山頭火は五七歳。歯が抜けたり目が見えにくくなったりと体の衰えを感じながらも、旅の道中では山里に咲く花々を眺め、鶯の鳴く声、風車の回る様子などにのどかさを覚えつつ足を運んでいました。気候の良さも手伝い、のどかな春のひとときを楽しんでいたようです。