三日月よ逢ひたい人がある|昭和七年九月

解説

 この句は、昭和七年九月五日の句です。この頃山頭火は、小郡の友人国森樹明が紹介してくれた、樹明の兄の友人宅の離れに住んでいました。
 当日の日記を引用します。

 彼から返事が来ないのが、やつぱり気にかゝる、こんなに執着を持つ私ではなかつたのに!
 ふと見れば三日月があつた、それはあまりにはかないものではなかつたか。―

 人の来訪あるいは来信を待つときに月を見るのは、日本人の性なのでしょうか。

   いま来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな(素性法師)
   やすらはで寝なましものをさよふけてかたぶくまでの月を見しかな(赤染衛門)


 どちらも百人一首に取られている和歌で、恋人を待っているうちに夜が更けてしまったという内容ですが、素性法師は有明の月、赤染衛門は夜が更けてから西に傾く月を詠んでいます。

 一方、山頭火が見ているのは三日月です。山頭火は三日月を「はかないもの」と言っていますが、それは、形が細いということだけでなく、夕方西の空に見えたと思ったらすぐに沈んでしまうということも意味しています。
 日記ではこの句の後に、次のような句が続いています。

   待つともなく三日月の窓をあけてをく
   この窓は心の窓だ、私自身の窓だ。

 ひとりで生きたようにみえる山頭火ですが、ひとりでいるときにはひとりをさみしがり人を恋しがる様子がうかがえます。私たちも共感できる、人間らしさが垣間見える句です。