うぶすなの神のおみくじをひく|昭和七年八月

解説

 この句は、昭和七年八月四日、小郡に其中庵を結ぶ一か月ほど前のものです。八月一日に川棚から移動し、其中庵に住めるようになった九月二十日まで、山頭火は小郡の友人の家に居候していました。
 小郡にやってきてすぐ、山頭火は汽車で大道へ向かい、親類を訪れていたようです。そして八月四日、この句が詠まれた日の日記を引用します。

 露の路を急いで展墓(有富家、種田家)、石古祖墓地では私でも感慨無量の体だつた、何もかもなくなつたが、まだ墓石だけは残つてゐたのだ。
 青い葉、黄ろい花をそなへて読経、おぼえず涙を落した、何年ぶりの涙だつたらうか!
 それから天満宮へ参拝する、ちようど御誕辰祭だつた、天候険悪で人出がない、宮市はその名の示すやうにお天神様によつて存在してゐるのである、みんなこぼしてゐた。
 酒垂公園へ登つて瀧のちろちろ水を飲む、三十年ぶりの味はひだつた(略)

 山頭火が子供の頃も、この句を詠んだ昭和七年の頃も、現在と同じように御誕辰祭が行われていたことが分かります。
 この句にある「うぶすな」は、「産土」と書き、生まれた土地の守り神のことを言います。山頭火にとっては防府天満宮が「うぶすな」であり、それはふるさとを離れたのちも変わらぬ思いでした。おみくじを引くなど、お祭りを楽しんでいる様子が伝わってきます。
 久しぶりにふるさとの地を踏み、思い出の場所を訪れ、旧友とも再会し、翌日五日の日記には、

   名残は尽きないけれど、(略)再会を約して別れる、八時の列車で小郡へ。

 と記しています。ふるさとを去り、それでもふるさとを想い続けた山頭火にとって、この日は、ふるさととの感動の再会の一日だったのでしょう。