ひとりひつそり雑草の中|昭和九年五月

解説

 この句は、山々も青くなり、道端の雑草も勢いをつけ始める初夏の時期の句です。

 この句は『其中日記』昭和九年五月二十日が初出です。その日の日記を抜粋してみます。

 雨、よい雨、風、わるい風、身心すなほ、しづかな幸福。
 もう一週間ほど誰も来なかつた、私からはちょいちょい出かけたが。
   (略)
 雨で水が出たので、そこらに水のたまり水の音、水はよい、断然良い、水と雑草との俳人として山頭火は生きる、生きられるだけ生きる、そしてうたへるかぎりうたふのだ!

 山頭火が水を愛したことは有名です。ふるさとの佐波川の水を「自慢の水」とも述べており、水を詠んだ句も多く残っています。
 しかし水と同様に、山頭火は「雑草」も愛しました。きれいな花を咲かせる草花ではなく、道端や手入れのされていない場所に生い茂る 名前もわからないような雑草を、山頭火はよく句に詠んでいます。

  ひとり住めば雑草など活けて(昭和七年九月)
  雑草にうづもれてひとつやのひとり(昭和八年四月)
  やっぱり一人がよろしい雑草(昭和八年六月)
  雑草のしたしさは一人たのしく(昭和十年六月)

 このように、「ひとり」であることと雑草を同時に詠む句は、小郡の其中庵に住んでいる時期に多く見られます。其中庵の庭を「雑草風景」と呼び、第四句集の題名にもしています。
 世間から少し外れて一人で、しづかな幸福を感じながら暮らす自分と、華麗な花々の脇で力強く生い茂る雑草を、重ね合わせてみていたのでしょう。