さくらさくらさくさくらちるさくら|昭和七年四月

解説

「さくらさくらさくさくらちるさくら」と平仮名で表記することで、似ている文字の形の面白さを引き立て、さらに非常にリズムよく詠まれているのが特徴ですが、一見すると、どの場所で文字を区切って良いか迷う句でもあります。

 しかし、じっくり観察すると、「桜」が二回繰り返されたあとに、「咲く桜」と続き「散る桜」と締めくくられており、「桜、桜、咲く桜、散る桜」と書かれていることが分かります。それと同時に読み解いた瞬間、満開の桜が散ってゆく姿を想像させてくれます。


 この句を山頭火が詠んだのは昭和七年四月十五日、九州を行乞し、福岡県福岡市に入った際で、山頭火が日々の模様を書き記した日記「行乞記」に、次のように書かれています。

 「西公園を見物した、花ざかりで人でいつぱいだ、花と酒と、そして、—不景気はどこに、あつた、あつた、それはお茶屋の姐さんの顔に、彼女は欠伸してゐる。
 街を通る、橋を渡る、ビラをまいてゐる、しかし私にはくれない、ビラも貰へない身の上だ、よろしい、よろしい。
  (中略)
 さくら餅といふ名はいい、餅そのものはまづくとも。」

 福岡市にある西公園は現在でも「日本さくら名所100選」にもなっており、山頭火もそれを見たと思われます。前年、昭和六年はまだ昭和恐慌であり、日記からは、その時世の中にあっても、あまり不景気を感じさせない当時の花見の様子と、行乞をしながらも世相を把握していた山頭火の姿を伝えています。そして何よりこの句の前に
     
   遍路さみしくさくらさいて

 と一句残している事からも、ビラ一枚貰えない自身の立場と、賑やかな世相の様子を桜を通じて対比させ、句として詠んだのかもしれません。