日記『行乞記』では、この句を詠んだ前日の十一月二日に
同宿の同郷の遍路さんとしみじみ語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸福あれ。
と記しています。同じ宿にいた山口出身のお遍路さんと、ふるさとの言葉で語り合った時に感じた懐かしさを詠んでいる句です。
また、三日の日記には、
松茸を食べたいと思ふが、もう季節も過ぎたし、だいたい此地方では見あたらない、此秋は松茸食べなかつたゞけぢゃない、てんで 見ることも出来なかつた、それにしても故郷の香り高い味はひを思ひださずにはゐられない。
と記しており、この日は何かと故郷を懐かしく思い出した日だったようです。
山頭火の句には、「ふるさとの言葉」を詠んだものが他にもあります。
ふる郷の言葉となつた街にきた(昭和五年十一月二十日)
ふるさとの言葉のなかにすわる(昭和七年五月二十一日)
一つ目の句は、福岡から下関に渡った日に詠んだ句です。日記にも、
下関はなつかしい土地だ、生れ故郷へもう一歩だ、といふよりもすでに故郷だ、修学旅行地として、取引地として、また遊蕩地とし て—二十余年前の悪夢がよみがへる。…
と書いており、故郷への複雑な思いが読み取れます。
山頭火にとって、ふるさとを象徴するもの、ふるさとを思い出すきっかけとなるものの一つに、「ふるさとの言葉」があったようです。