昭和五年十月九日、現在の宮崎県串間市付近を歩いていた日の句です。
萩(ハギ)はマメ科ハギ属の小低木で、花は夏から初秋頃に開き秋の半ば頃に散ります。しだれた枝に咲く花は、紅紫色で小さな蝶のような形をしています。萩の花がぽろぽろと散る様子を「こぼれる」と表現するのは、山頭火独自のものではなく、「こぼれ萩」という季語も存在します。
一夜とめし けさや板間の こぼれ萩 太祇
こぼれ散る萩を眺めながらゆっくり歩こう、という旅の道中のゆったりとした心持を詠んだ句でしょうか。
さて、昭和五年の旅の様子は『行乞記』に詳細に記されています。掲句を詠んだ日には、
今日の道は山路だからよかつた、萩がうれしかつた、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。
という一文が見えます。
この時代、日本ではちょうど自動車生産会社の黎明期にあたります。フォード等のアメリカ企業は日本に進出しており、自動車はすでに日本各地で見られるようになっていました。この時期の日記には
今日、歩きつゝつくづく思つたことである、――汽車があるのに、自動車があるのに、歩くのは、しかも草鞋をはいて歩くのは、何といふ時代おくれの不経済な骨折だらう(略)、然り而して、その馬鹿らしさを敢て行ふところに、悧巧でない私の存在理由があるのだ。(昭和五年十月一日)
昨日今日は近代科学に脅やかされた、その適切な一例として、右は汽車が走る、左は電車が走る、そのまんなかを自動車が走る、法衣を着て網代笠をかかつた私が閉口するのも無理はあるまい、閉口しなければウソだ。 (昭和五年十二月八日)
等と書いており、山頭火は車に対してどちらかといえば否定的な意見をもっていたようです。
これらの日記の記述を踏まえると、掲句は、自動車が走るとその勢いで萩が散ってしまうから、私だけでも萩の咲く道をゆっくり歩いていこう、というような解釈もできるかもしれません。