句は昭和十五年、松山でのもの。
山頭火が住んでいた一草庵は、松山城北にありました。すっきりと晴れた秋の空に、松山城の天守閣が白くはっきりと浮かんでいる情景が読まれています。
松山城は平山城で、その天守は江戸時代に再建されたものが今でも残っています。また、天守の標高は一六一メートルあり、当館近くにある天神山と同じくらいの高さがあることになります。
山頭火が松山城を詠んだ句を他にも見てみると、
うらうらお城も霞の中(松山城) 昭和十五年三月 ぶらりと出かける城山が霧の中より 昭和十五年十月 三日月おちかかる城山の城 昭和十五年十月
春の霞の中でゆらめく姿や、秋の霧の中から姿を現す様子、また三日月とともに夜空に浮かぶ姿等、さまざまな表情を捉えて詠んでいたことがわかります。
さて、松山は山頭火の他にも多くの俳人にゆかりのある土地であり、松山城もたびたび句に詠まれています。その中でも掲句と同じ秋の句を探すと、「秋の空」や「秋高し」などの言葉が使われているものがいくつか見つかります。秋の澄んだ空にそびえる松山城というイメージが繰り返し詠まれてきているようです。
松山や秋より高き天主閣 正岡子規
秋高し鳶舞ひ沈む城の上 同
秋高き城に登れば石槌が 柳原極堂
見上ぐれば城屹として秋の空 夏目漱石
山頭火の掲句も同様に、秋の青空に浮かび上がるような天守閣を詠んでいますが、空の青さと天守閣の白さが対比され、それが目に眩しいほど鮮やかな様子が「はつきり」という言葉によって表現されているのが特徴的です。