句は昭和九年、其中庵でのもの。前書きに「老祖母追憶」とあります。
熟柿を詠んだ山頭火の句を見てみると、
おもひではかなしい熟柿が落ちてつぶれた(祖母追懐) 昭和九年十一月
熟柿落ちたるにもおばあさんの追憶 昭和八年
のように、掲句以外でも「祖母」が登場することがあります。また昭和九年十月十二日、掲句を詠んだ数日後の日記を見てみると、
○熟柿――木の実のあまさは自然のあまさだ。
○熟柿と日本の老人(老祖母追憶)
と書かれています。
山頭火の子どもの頃の記憶の中で、ぽとりと落ちるほど熟れた柿の甘さと、おばあさんとの思い出が結びついていたのでしょう。
山頭火は十歳のときに母を亡くし、それ以降おばあさんが母親代わりとして育ててくれていたようです。祖母との思い出を日記につづることもありました。
妙な、珍らしい夢を見た、(略)あの懐かしくてならない老祖母までがあらはれてくれたのであつた。……(昭和七年十一月)
今日はなつかしい祖母の日。
彼女は不幸な女性であつた、私の祖母であり、そしてまた母でもあつた、母以上の母であつた、私は涙なしに彼女を想ふことは出来ないのである。(昭和十一年十二月)
掲句は、「あまさ」「おばあさん」「おもかげ」とア行やマ行が続き、全体的に穏やかな印象を与えます。
祖母については「不幸な女性」と回想し、「涙なしに」思うことはできないと言いますが、この句では、懐かしい祖母とのあたたかな思い出が、熟柿の甘さをきっかけに蘇ってきているのではないでしょうか。